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caramel 紅茶缶。

お菓子と日々の戯言と。

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2024 
November 21
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2012 
April 04
まぁ、お仕事のお話しではないのですが。
この頃ふっと暇な時に思うのがこの事。
人生って、大きな時間の流れで見ると、多分今現在だけのものではなくて。
私の知らない過去の人生からの「成し遂げられなかった宿題」が現在の人生の課題なのでは?と。
前回の人生で成し遂げられなかった事。
若干スピリチュアル系のお話しですが、かじる程度に好きなだけです。私は。(笑)
まぁ、そんなお話しをアルバイトのFちゃんと今日はちょいちょいしてまして。
彼女に言われた事が、
「それはねぇさん、前回人生が男で尽くされてきたんですよ。
だから今の人生、世話を焼いたり尽くすのが好きなんじゃないスか?」と。
なるほど、逆の立場で現在を生きているってことだね。
それでいて、逆の立場の気持ちを学ぶって事なのかな。
・・・?でも、誰かの為に何か世話を焼くのはちっとも苦ではないし、
寧ろ好きで楽しく思えてしまうのだけれど・・・それって課題クリアになるのかな???
何だかそれは違うようにも思えるのだけれど・・・。
せめて、私が尽きるまでには、
その意味が分かるような人生の過ごし方を出来ているようになっていられればなぁ・・・と願う。
難しいですよね、人生の課題って!


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2012 
April 01
数年前のあの季節だ。
どれだけ時間がゆっくり過ぎてくれたらと願っただろう。
今でも思い返すと胸が痛い。
今でもその想いは途切れない。

それは箱にしまって頑丈な蓋を付ける事にした。
そうする事で少しは気持ちが楽になるかもしれない。
時々思い返してみてはその蓋をちょっとだけ悪戯に開けてはみたけれど、
やっぱり駄目だった。
開けると壊れる。
世界で一番大切なパンドラの箱。
その後、蓋には鍵がかけられた。
私がかけたのではない、鍵。
もうその蓋は、私の意思では開けたくてももう二度と開けられないものだと思った。
それなのに・・・今になって蓋にかかっていた鍵を外されてしまった。
この数年間思い悩んだ時間を覆すように、それはあっさりと開錠された。
久しぶりに覗いてみた蓋の中身は、やっぱりあの時と変わらず。
どんなに蓋をしても、どんなに頑丈な鍵をかけても。
やっぱりそうなんだね。
これからも多分ずっとこのパンドラの箱を抱えたまま私は歩かなくてはいけないのだろうか。
それならいっそと、箱の崩壊を願ったのに大事に包まれて突き返された気分。
私がこの箱を抱えて学ぶものは一体何なのだろうか・・・。
答えが出るまで、それは手放す事がきっと出来ないのだろうなぁ・・・。


2012 
April 01
南からゆっくり近付いてきている桜の足音。
今日、地元の友人が「こちらは満開だよ」と教えてくれました。
まだご近所の桜の木は花を咲かせているものはなかったですが、
先日みた蕾よりも大きくなって遠目で見ても分かるくらいに桃色に。
ああ、待っているんだね。
早く暖かい日差しを浴びたいんだね。

今週末の日曜日には、毎年恒例のお花見です。
ちょうど良い頃に花が開いているのではないでしょうか。
先日、お花見主催さんから「バーベキューは予約がいっぱいの為ナシの方向で。」と
ちょっと残念な連絡もありましたが、でもその分皆で持ち寄りで♪
週間予報を先程覗いてみたら、日曜日は晴れ時々曇りですって。
気温も15度と、そこまで寒くはなさそうです。
もっと暖かい日になると素敵だなぁ。
週末に向けて、お弁当やお菓子をあれこれ考えるのも毎年恒例の私のお楽しみ。
先日「ドリア!」と無茶振りされましたが、さてどうやって持って行ったものか・・・。
はて・・・。
2012 
March 30
温かい季節の、良い匂いのする夜風が大好きだ。
この暖かさを増して来る季節の、花の香りの夜風は格別。
実家を思い出す沈丁花の香りが、甘酸っぱく可愛らしい香りを振りまいている。
真夏の夜風も大好きだけど、
この肌寒さの残るくらいが「季節の変わり目」なのだと感じる事が出来て、好き。
冬と夏の中間地点。
春も秋も一瞬の季節。
そのほんの瞬きのような季節の風は、次の季節の香りを運ぶ。
子供の頃からこの夜風の香りが好きで、
未だにこの夜風が香ると真夜中なのに、何処か外へと飛び出して行きたい衝動に駆られる。
前の人生で、この事に纏わる何かがあったのだろうか?
だって未だに一晩中だって窓を開け放していたい気分になるのは子供の頃と変わらずだから。
だから、少しでも長く。
少しでも、ゆっくりと、と。
この季節の時間の流れは一年で一番緩やかであれば、と毎年願わずにはいられない。



2012 
March 28
人生の終幕。
それは何も悲しい事ではないんだなぁって。
その時間までに経験出来た一つ一つを思えば何を惜しむことも、
悲し事も何一つないのだとこの年になってハッキリと思えるようになってきた。
結局人生って、その人の魂の経験過程なのじゃないかしら、って。
産まれる時も身一つならば、
消えゆく時も何も物質的なモノは何処かへ持って行く事って出来ないのだし。
持って行けるのは、きっとこの人生で経験出来た記憶とその意識ってことだけなのかなって。
だから、例え私が一番の宝物だと思っているこの「手」がなくなったとしても、
がっかりはするだろうけれど失望はしないのだろうな、と思う。
だって、そこには私の意思は生きて存在しているのだから。
こんな考えをするようになったのも、大元を辿れば祖父の死がきっかけなのだろう。
意思がなくなる事はって、自分自身が何も感じる事がなくなる事だよね。
私自身ではなくなるってことなのかな。
そんなのヤだな・・・。
私は自分の自覚ある意思が途切れない限り、
生涯幸せなのだと断言出来る自信がある。
だからもし、利き腕がもげようとも、両腕がなくなろうとも、
私自身の意識がそこにあるのなら。
それは今の人生をまだ色んな経験で満たすことが出来ると言う事。
それって凄く幸せな事なんじゃないだろうかしら?
私がこの人生で一番手放し無くしたくないモノ。
それは「自我」だと感じる。
誰だってそうに決まっているじゃない、と言われるかもしれないけど・・・。
私らしくこの人生を生きたい。
それは14の私の決意で、17の私の行動力のお陰でこうして保たれていると言う事。
まだまだ人生は長くこれからだと思えるから。
この気持ちを持ったまま、人生最後の日まで歩いて行けたらなぁと思う。


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